コラム

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2007/12/21

Nr.19 「ドイツ語のセンセイ」の恥ずかしい回想記 (1)

粂川 麻里生 (慶應義塾大学教授・独検実行委員)


今まで,この「独検コラム」にはサッカーがらみのことを書かせていただいてまいりましたが,とりあえずワールドカップ・ドイツ大会も昨年終わってしまったということで,話題を変えてみたいと思います。(とはいえ,来年はスイス&オーストリア共催でヨーロッパ選手権が開催されます。これについて,面白い話題があれば,番外編で随時ご紹介したいとも思っています。)

さて,それで何を書かせていただこうかと考えたのですが,当欄コラムニストの他のお二人,神品先生と諏訪先生はドイツ文学やドイツ語学を専攻する人間なら知らぬ者のない大先生でいらっしゃるのに対し,私めはほとんど誰も知らない,45歳の「小僧」です。そこで,ドイツ語やドイツ語圏文化に関する興味深いお話や含蓄のあるエピソード等は,大先輩にお任せすることにさせていただき,小僧は小僧なりに,ドイツ語学習者の皆さんにより近い立場から,拙文を書かせていただこうと思うに至った次第です。

具体的には,私の「ドイツ(語)歴」をその始まりから赤裸々にお話させていただき,読者の方々に「なんだ。こんな人でも,ドイツ文学の教授になれたのか。では,私もドイツ語の勉強を続けてみよう」と思っていただければ幸い,ともくろんでいる次第です。何回になるか分かりませんが,お付き合いいただければ幸いです。

さて,私と「ドイツ」の出会いはいつだったでしょう。記憶をたどれば,小学校低学年の頃,「GIジョー」というプラスチック製の軍人人形で戦争ごっこをして遊んでいた頃かもしれません。場所は栃木県南部,田んぼの中に点々と家があるだけの,「村」と言ったほうがぴったりの町。1970年代の初めでありました。「GIジョー」は,日本のタカラ社の玩具でしたが,もともとは米国ハズブロ社が1964年に発売したものです。「GIジョー」というキャラクターは,第二次世界大戦中にアメリカの子供たちに読まれていたコミックの主人公(もちろんアメリカの兵隊)ですが,ベトナム戦争が始まり,これに便乗しようとしたハズブロ社にとって人形玩具化されたものでした(敗戦国ニッポンの子供たちが,そんなもので遊んでいたんですね……)。

この「GIジョー」は,かなり高価なおもちゃでした。当時の価格で,一体1000円! 私の両親は共働きで,高校と中学の国語教師をしておりました。貧乏ではありませんでしたが,1000円のおもちゃはなかなか買ってもらえるものではありませんでした。友人たちも,だいたい同様でした。それでも,テレビで盛んに宣伝され,カッコいい武器やジープに乗る「GIジョー」の魅力と,やはり米国製作のテレビドラマ『コンバット』の影響で,私と友人たちはどうしても欲しくなったのでした。

「GIジョー」は“シリーズ”になっている製品で,米兵だけでなく,ヨーロッパ各国の兵士の人形も発売されていました。私と友人たちは,手分けして親におねだりすることにしました。たけし君はGIジョー,ひろし君はフランス兵…,というふうに。子供心に,「米兵だけでは戦争ごっこにならない」と考えもしたのでしょう。また,「皆で遊ぶのに,要るんだよう」と言えば,高いおもちゃもねだりやすかったということもあったでしょう。そういう訳で,私は「ドイツ兵」を買ってもらったのでした。(武器やジープは,自分たちでボール紙で作らなくてはなりませんでした)

どうして,私が「ドイツ兵」の「担当」になったのかは,よく覚えていません。ただ,「ドイツ兵」の人形は,顔がいかつく,軍服もびしっとしていたと思います(軍服にハーケンクロイツがついていた記憶はありません。当時すでにドイツは再軍備されていましたから,リアルタイムの「ドイツ兵」の姿だったのではないでしょうか)。私がこの人形を買ってもらうことになったのは,友人たちとの話し合いの結果であったはずですが,同時に,私自身がこのドイツ兵人形を,「GIジョー」シリーズの人形の中で,特に個性的で,表情はとっつきにくいけれど,味わい深くもあるものだと感じていたことも事実だと思います。

「まりおちゃんはドイツ」。この時に引き受けた「ドイツ」が,その後一生付き合う国になろうとは,もちろん思ってもいませんでした。