コラム

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2018/07/23

Nr.52 Eimer と Kübel ―方言が解くカフカの謎?

富山 典彦(成城大学教授・独検実行委員)


どの言語にも方言があります。ドイツ語は,低地ドイツ語 Niederdeutsch,中部ドイツ語 Mitteldeutsch,高地ドイツ語 Hochdeutsch の3つの方言に大きく分けることができます。ドイツ語の「標準語」はどれなのかというと,これがなかなか難しいようです。Hannover あたりのドイツ語がいわゆる標準語であると書かれた旅行案内書もありますが,はたしてどうなのか,ぼくには正確なことはわかりません。

ただし,「人生の消費税分をウィーンで過ごした」などと法螺を吹いてきたぼくのことですから,ウィーン方言については若干のことは知っています。ウィーン方言,いわゆる Wienerisch は耳で聞いてわかるのですが,なかなか自分では発音できませんし,ドイツ語の授業でウィーン式の発音を教えたら,たちまち「それはドイツ語ではない」と非難されてしまいそうです。例えば,二重母音の ei は「アィ」と読むのだと授業で教えますが,ウィーンでは「エィ」と読みます。母音の前に s があると「ズ」と濁って発音されるのが標準的なドイツ語の発音ですが,ウィーンでは濁りません。

ミュージカルになって日本でも人気のある Elisabeth ですが,彼女の結婚先のウィーンでも出身地のバイエルンでも,「エリーサベト」と発音します。オーストリアとバイエルンは bayerisch-österreichisch という同じ方言地域なので,彼女の愛称である Sisi はどちらでも問題なく「シシィ」です。ところがこの綴り字だと標準ドイツ語では「ジジィ」になってしまうので,彼女を主人公にしたドイツ映画『シシィ』の原タイトルは苦肉の策でしょうか,”Sissi”となっています。

「おでん」のことを大阪では「関東煮」(「カントダキ」と読みます),「しめ鯖」のことを「キズシ」といいますが,それと同じようにドイツ語でも,「肉屋さん」を Fleischer というか Fleischhauer というか Metzger というかというようなことで,方言の地域を分けることもあるそうです。

さて,今回のコラムのタイトルにあげた Eimer という語ですが,ヨーゼフ・ロート Joseph Roth の代表作である『ラデツキー行進曲』Radetzkymarsch(1932)の最後に出てくるので,ぼくの記憶に鮮やかに残っていました。ソルフェリーノの戦いのとき,オーストリア皇帝フランツ=ヨーゼフ一世の命をたまたま救った功績により貴族に列せられたスロベニア人の農民ヨーゼフ・トロッタでしたが,教科書に「ソルフェリーノの英雄」などと事実とは異なる記述がされていることを知って,軍を退役し隠棲してしまいます。

彼の息子は軍人にはならずに知事になりますが,彼の孫はまた軍人になってしまいます。このトロッタ家三代記が,ヨハン・シュトラウスの有名な曲と同じ名前を与えられた長編小説の概要ということになります。そしてこの三代記の背後にはずっと同じ皇帝がいるのですが,その晩年にとうとう世界大戦が勃発し,三代目のトロッタは戦死してこの物語は終わります。

その戦死の状況なのですが,部隊の兵士たちのために野営地の近くにある川に行き,Eimer で水を汲んで帰ろうとしたときにどこからか銃弾が飛んできてそれに当たって死んでしまうのです。ぼくはなぜか,「手桶」を意味する Eimer を持ったまま戦死した主人公のことがずっと気になっていました。

今からもう30年以上も前にウィーンに留学して,Germanistik ではなく Japanologie の会合によく顔を出しましたが,日本人とオーストリア人のハーフである若い先生があるとき,ドイツに留学したときに Eimer という語を口にしてみんなに笑われてしまったという話をしました。その理由はよくわかりませんが,オーストリア人のその先生がごくふつうに使っている Eimer という語を,たぶんバケツのようなものを指して使ってみたら,その地方のドイツ人に笑われてしまったということでしょう。東京で「おでん」を注文するときに「カントダキ」と言って笑われる大阪人のようなものだったと考えれば話は簡単です。

オーストリア=ハンガリー二重帝国の辺境ガリチアの出身で,ハプスブルク帝国をその作品で永遠化したヨーゼフ・ロートの『ラデツキー行進曲』の三人目の主人公が Eimer を手にしたまま戦死した……そこに何か深い意味があるはずです。ドイツで Eimer と言って笑われたウィーン大学の先生と,Eimer を手にしたまま戦死したこの主人公,二人ともオーストリア人です。ここから何かが見えてきそうな気がします。

手元にある小学館の『大独和辞典』の初版のコンパクト版を引いてみると,Eimer には「手おけ,バケツ」という意味が最初に書かれています。図は Gefäß を見るようにという指示がありましたので Gefäß を引いてみると,いろいろな容器の絵が描かれています。ぼくが「手桶」として記憶していた Eimer は,なんとバケツの絵になっているではありませんか。たしかに Eimer には「バケツ」という訳語も書かれているのですが,ぼくとしては「バケツ」というと Kübel という語が真っ先に浮かんできます。

それはなぜかというと,フランツ・カフカ Franz Kafka に『バケツ乗り』と訳される Der Kübelreiter という短い作品があるからなのです。第一次世界大戦後のプラハの窮状を背景にしたこの作品の名無しの主人公は,困り切ったあげく Kübel を騎馬に見立てて窓から外に飛び出していく,という意味不明の作品です。

カフカが生まれてその人生の大部分を過ごしたプラハは,ハプスブルク家の支配下にあったボヘミア王国の首都でした。ですからユダヤ人のカフカは,プラハのドイツ語のギムナジウムに通い,プラハのドイツ語の大学で法学博士となりました。カフカが生まれ育ったプラハはチェコ人が多数派だったとはいえ,広い意味でオーストリア帝国の一地方だったのですから,カフカにとって手にもって水を汲むための道具は,ウィーン大学の先生がドイツ人に笑われた Eimer だったに違いありません。

1918年,まずはボヘミアがオーストリア帝国から独立し,ハンガリー王国の支配下にあったスロバキア人たちといっしょになってチェコスロバキア共和国を建国しました。この国はチェコ人とスロバキア人の国家ということになりますが,住民はほとんどそのままでしたから,カフカのような,チェコ人でもスロバキア人でもない人たちもそのままこの国に残りました。

つまり,ボヘミア王国に住む「オーストリア人」だったカフカは,このときからチェコスロバキア共和国に住む「ドイツ人」ということになってしまった,というのが,方言の問題からぼくの導き出した仮説です。身近にあるバケツのことを,これまで使ってきた Eimer と言ってはならず,Kübel と言わなくてはならなくなった……だからこの小品の主人公は,Eimer ではなく Kübel に乗って窓の外に飛び出す必要があったのではないでしょうか。そしてまた,『ラデツキー行進曲』の三人目の主人公は Eimer を手にもったまま戦死した……いずれも彼らの生きてきた基盤であるオーストリア帝国の崩壊を,これらの文学作品の一コマで表している。そういうふうに謎解きをしてみたのですが,どうでしょうか。