コラム

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2019/02/15

Nr.55 お釈迦様の手は3格支配,それとも4格支配?

富山 典彦(成城大学教授・独検実行委員)


独検のコラムも今回で55回になりました。前回は後置される前置詞について述べましたが,今回は3・4格支配の前置詞の3格支配と4格支配の区別について,ぼくの授業でいつもやっている「ネタ」を使ってみることにします。ドイツ語を習い始めたばかりの学生相手の授業ですので,ドイツ語学の専門の立場からすると少し大雑把な理解であることは,あらかじめご承知おきください。

前置詞が全部でいくつあるのかというと,名詞や動詞や形容詞と比べたら何桁も違うほど少ないでしょう。そのかわり,2格支配の前置詞,3格支配の前置詞,4格支配の前置詞,それに3・4格支配の前置詞と,前置詞のあとに置かれる名詞や代名詞の格によって,4種類の前置詞があります。

一番わかりやすいのは2格支配の前置詞で,statt(~の代わりに),trotz(~にもかかわらず),wegen(~の理由で),während(~の間に),innerhalb(~の内側に),außerhalb(~の外側に)など,意味も他の前置詞と比べたら単純でわかりやすいものが多いです。もっともネイティブの先生の中には,2格支配の前置詞は教える必要がないと言う人さえいますが,ここに挙げた6つの2格支配の前置詞は覚えておいて損はないと思います。

では,今回のテーマである3・4格支配の前置詞ですが,授業では「場所」を示す前置詞として次の9つを教えています。

auf(~の上),unter(~の下),vor(~の前),hinter(~の後ろ),in(~の中),an(~に接して),neben(~の横),über(~を越えて),zwischen(~の間)。

これらの前置詞はもちろん,「場所」のほかにいろいろな意味で用いられますが,「場所」の意味で使われるときに,3格支配と4格支配に使い分けがされるのです。

では,3格支配と4格支配とでどのような使い分けがされるのでしょうか。次の例文を見てください。

Ich stelle ein Buch auf den Tisch.
私は机の上に一冊の本を置く。
Das Buch steht auf dem Tisch.
その本は机の上にある。

本の動きから判断すると,本が机の上に移動するときの auf は4格支配,本が机の上にあるときの auf は3格支配になっています。少し教科書的な言葉で言うと,「場所」を示す3・4格支配の前置詞は,「ある場所への移動」のときは4格支配,「ある場所での静止・運動」のときは3格支配となるのです。

さて,ぼくが授業で使っている「ネタ」を紹介しましょう。皆さんは『西遊記』を知っていますか。唐の時代に玄奘三蔵が当時天竺と呼ばれていたインドに行って,仏教の経典を唐に持ち帰ったという実話をもとにした奇想天外な冒険物語です。

映画では女性が演じることもある華奢な三蔵法師のことですから,途中に何が起こるかわからない天竺への道をたった一人で行くことはできません。猿の仙人の孫悟空,豚の妖怪の猪八戒,そして河童の妖怪の沙悟浄が三蔵法師のお供をして,途中で出会うさまざまな危難を乗り越えていくのです。

この3人(?)の従者で一番力のある孫悟空は,もともとは石の中から生まれた猿で,手のつけられない暴れ者でした。好き放題に暴れまわっていた孫悟空でしたが,お釈迦様に会ったとき,お釈迦様の手の中に取り込まれます。

このまま黙ってお釈迦様の言いなりになる孫悟空ではありませんから,キン斗雲を呼び,それに乗ってお釈迦様の手を超えて外に飛び出します。あっという間に世界の果てまで飛んでいった孫悟空は,ある高い山の前に来ました。その山に大きく「孫悟空」と自分の名前を書いたあと,意気揚々とお釈迦様の手の中に戻ってきます。

さあここで,孫悟空の動きに注目してみましょう。世界の果てからお釈迦様の手の中に孫悟空は戻ってきたのですから,このときのお釈迦様の手は4格支配ですね。

ところがなんと,お釈迦様の手の中指に「孫悟空」と書かれているではありませんか。世界の果てにあった山は,本当はお釈迦様の手の指だったということです。つまり孫悟空は,ずっとお釈迦様の手の中にいたということになりますね。お釈迦様の手はずっと3格支配だったわけです。

手から飛び出して手に戻ってきたということで,お釈迦様の手は4格支配だと信じていた孫悟空でしたが,実際は3格支配だったことを知らされて,何か「悟り」を得たのかもしれません。