コラム

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2022/10/26

Nr.63 万聖節と万霊節

武井 香織(元筑波大学教授・公益財団法人ドイツ語学文学振興会理事)


11月1日はドイツでは「万聖節(Allerheiligen)」と呼ばれる祝日です。バイエルンやバーデン=ヴュルテンベルクのようなカトリック地域の州では,公的な祝日(Gesetzlicher Feiertag)となっていて学校や官庁は休業になりますが,それだけではなくこの日は静謐を保つ日と定められていて,ダンスや娯楽イベントの開催が禁止されています。

万聖節はすべての聖人を祭るために行われる行事です。重要な聖人にはそれぞれの記念日が設けられていますが(例えば2月14日は聖ヴァレンティーンの日,6月24日は洗礼者ヨハネの日等々),キリスト教の歴史が進むにつれて聖人の数は次第に増え,あまり知られていない殉教者も含めるとすべてを1年の暦の中に納めきれないので,このような日が考案されたわけです。この趣旨の教会行事はすでに4世紀に始まっていますが,11月1日に固定されたのは8世紀で,ドイツにはその後フランク王国のルートヴィヒ敬虔王によって広められたと伝えられています。

この11月1日というのは一説によるとケルト人の暦で新年の始まりの日で,火祭りが行われたと言います。ゲルマン人は暖かい日がこれ以上来なくなる節目(小春日和の終わり),また冬の始まりの日ととらえていたようで,いずれにしても時間の境界線にある不安定な時点として特別視された日でした。時の境目は,異次元の存在がこの世界に現れる魔の時です。キリスト教はこうした古くからの民族信仰の要素を取り入れ,ケルトやゲルマンの「辺境の」民を教化していったわけです。

そういえば近頃日本でもはやりのハロウィーンも11月1日の前の晩に行われますが,これはドイツの万聖節と同起源の,ケルトの古風を残した行事が,おそらくはアイルランドからアメリカに渡った移民によって持ち込まれ,20世紀になってから広まったもののようです。

万聖節に引き続き11月2日は「万霊節(Allerseelen)」と呼ばれ,公的な祝日とはなっていませんが,民俗風習に関してはこちらの方が興味深いかもしれません。日本のお盆とよく似ているのです。

この日には煉獄にいる死者の魂が地上にさまよい出て,墓場の周囲や街道に出現し,また親族の家を訪れるとされています。各家庭では墓参りをして,煉獄の火で焼かれている亡者の苦しみを和らげるために墓石に聖水をふりかけ,パンやワインなどのお供えを置きます。そして一晩中特別の蝋燭を燃やして祖先の霊の目印とします。ただし,自殺者の墓には火を点してはいけないとされています。

また家では霊を迎え入れるための準備をします。食卓の上には霊のための食事が置かれ,暖炉には小麦粉が振りまかれます。またミルクは必ず冷たくしておかなければならないのですが,これはいつも煉獄の火で焼かれている亡者の苦しみを和らげるためです。この日はナイフの刃を上向けに置いてならないとされていて,これは霊が金物の上に着くと信じられているからです。

もっともこれらの風習は今ではあまり意識されず,万聖節も万霊節も単なるお墓参りの日となっているようです。この日に墓地を訪れると,あちらこちらに数人の人が固まって,家族のお墓の掃除をしたりお祈りをしたりしている光景を目にします。普段は離れて暮らしている親族も墓地に集まり,お墓参りの後はレストランなどで楽しく会食するのでしょう。また子供達には代父(Pate,幼児洗礼の立会人で名付け親)から,編んだ髪の房のような形をしたシュトリーツェル(Strietzel)という特別なパンをもらいます。

古い習俗の怖いけれども魅力的な要素はそぎ落とされ,宗教行事が市民の平和な日常の一部となっているのは,日本もドイツも同じかも知れません。