コラム

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2026/07/23

Nr.85 私の学生時代 (2) 大学紛争 (前編)

工藤 康弘(関西大学特別契約教授・公益財団法人ドイツ語学文学振興会元理事)


東大紛争があったのは私が小学6年のころで,安田講堂をめぐる攻防をテレビで見ていたような気がする。全国へ波及し,そして沈静化した大学紛争だが,私が大学へ入ったときもその余波が続いていた。私は大学紛争を語るには世代的に少し若すぎて,また50年近く前のことなので記憶違いもあるかもしれないが,自分が体験した当時の熱気を伝えたい。

大学紛争はいくつかのグループ(セクト)に分かれて展開されていた。自分のまわりでは中核派の活動が活発だった。また学生自治会というのがあって,入学したてのころ,自治会費を払ってほしいとよく勧誘され,最初は迷っていたが払った。公的な組織かと思っていたが,これも一つのセクトだったかもしれない。歌声サークルといった名前のグループがあった。今でいう大学のサークル活動だと思っていたが,これも学生運動のなれの果てだと近くにいた人が教えてくれたが本当だろうか。大学の校門をくぐるたびにたくさんのビラ(アジビラ)を渡された。歩いていくうちに持ちきれないほどになる。「日本帝国主義打倒!」「~内閣打倒!」といった勇ましい言葉が並んでいる。あの自治会費はこういうものに使われていたのだろうか。

学生運動の強烈な体験をしたのはもっぱら教養部時代であった。キャンパスではヘルメットをかぶり,タオルで口を覆った人たちが掛け声をあげながら行進している。いわゆるゲバ棒も持っていたと思う。ゲバ棒はドイツ語の Gewalt(暴力)に由来し,武器として使われた。学生運動家たちの内部抗争を意味する(うち) ゲバも同様である。運動家たちの行進は,私にはわっしょい,わっしょいと祭りの神輿をかついで歩く練習をしているような,あるいは子供が列になって電車ごっこをしているように見えた。これ自体は何ということのない風景に見えるのだが,それが一変するのは……。授業中,どどどどという足音がして,運動家たちがドアを蹴破って(壊してはいないが)乱入してくる。まずは演説をさせろと教官に迫る(国立大なので教員ではなく教官と言っていた)。たいていは演説をするのだが,運動家たちも学生を味方にしないと思うように動けない。たまに私たち学生が「帰れ,帰れ!」と叫ぶと,すごすごと退散していくことがあった。演説は当然左翼的な内容で,武闘派らしい言葉が並ぶ。彼らの1人称の呼称は「われわれ」である。しゃべり始めは必ず独特な抑揚で「われわれはー」と枕詞のように言ってから言葉を継いでいく。ひとしきり演説をぶったあとは教官を取り囲んでつるしあげが始まる。学生は先ほどのように抵抗することもあるが,たいていは眺めている。おじけづいて傍観しているというわけでもなく,大学へ入学して,激しく動いている世の中を知り,見極め,判断したいという気持ちがあったと思う。私自身,わけもわからず『共産党宣言』を読んだりもした。読まねばならないような雰囲気だった。