コラム

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2026/08/17

Nr.86 私の学生時代 (3) 大学紛争 (後編)

工藤 康弘(関西大学特別契約教授・公益財団法人ドイツ語学文学振興会元理事)


前回は,学生運動家たちが教室へ乱入し,演説をぶったあと,教官を取り囲んでつるしあげようとするところまで述べた。つるしあげられる教官の反応はさまざまである。泣きべそをかく教官もいた(顔を真っ赤にして黙っているので,そう見えただけかもしれない)。「貴様,それでもマルクス経済学者かあ!」(運動家たちの2人称の呼称は「貴様」が多かったような気がする)と荒ぶる運動家に対して顔色ひとつ変えず「マルクス経済学者ではない,マルクス主義経済学者だ」と返す経済学の先生。生物学の先生だったかは「それはですね,ホメオスタシスの原理で言えばですね ……」とはぐらかす。いらいらした運動家は「われわれはー(怒るならすぐ怒ればいいのに,この枕詞がないと始まらないらしい)そんなことをー,聞いているのではないー!」とやり返すのだが,話がかみあわない。東北大学から非常勤で来ていた先生は「君ね,この,この」と言いながら肘鉄をくらわしながら相手を押し返す。運動家はたじたじになって後退する。さすが旧帝大は学生運動が激しいので,こういうのに慣れているのか,教官もパワーアップしている。

冬,雪の積もった朝,大学へ着くと建物の入口に机やら椅子やらが高く積み上げられていて中に入れない。これがバリケードというものか。授業が受けられないのを残念がるふりをしながら,内心今日は休みだと喜びながら家路についた。

一学年上の先輩が話してくれた話で私は見ていないのだが,とうとう大学が機動隊の出動を要請したらしい。軍用車のようなものが到着して,パカッと開いて(サンダーバード2号か)隊員たちがパラパラっと出てくる。激しい大立ち回りがあり,哲学の先生(のちに学部長となり,私がラテン語を習った)などはもみくちゃにされていたという。ことほどさように,あのころは熱気に包まれた疾風怒濤の日々であった。

時が経ち,私は同じような地方国立大の教官になっていた。すでに大学は平和になっていた。ただ一度,授業をしていると廊下が少し騒がしかったので,出てみると複数の学生たちが座り込みをしている。事務官が困ったような顔をしながら付き添っていた。一人が中に入ってきて時間をくれと言う。なつかしい光景だ。私もつるしあげられる立場になったか。授業を中断して教室の脇で見ていると,彼は何やら訴えていた。ひとしきりしゃべったあと,教室から出ていこうとするので,私はあわてて「おいおい,演説のあとは教官をつるしあげるんじゃないのか」と呼び止めると彼はむっとした様子で,「本当はそうしたいところなんですけど,今日はこのへんで」と言って去っていってしまった。なんとまあ,かわいい「学生運動家」たちだ。あのころの熱気がなつかしく,こわいもの見たさでちょっと期待したのだが,もうそういう時代ではなくなっていた。