2026/10/08
Nr.89 ヴァイマル(1)
武井 香織(元筑波大学教授・公益財団法人ドイツ語学文学振興会評議員)
今回からはドイツ中部(今日のドイツの範囲では東部),テューリンゲン(Thüringen)地方の都市Weimarについてお話ししましょう。この地名は,ドイツ語教師の立場では「ヴァイマル」と表記したいのですが,日本では明治以来なぜか「ワイマール」と発音されてきました。わたしも高校の世界史で「ワイマール憲法」「ワイマール共和国」などと教わったものです。でもこのコラムはドイツ語を振興する団体のものなので,ドイツ語の本来の発音に近い「ヴァイマル」と書くこととします。
さて,ヴァイマルは2024年現在人口約66,000人,近隣のエアフルト(Erfurt,約220,000人)やかつて領内にあった大学町イェーナ(Jena,約110,000人)の人口と比べても決して大きいとは言えない規模の都市です。しかしヴァイマルは神聖ローマ帝国時代から第一次大戦まで,この地域の政治的中心であり,ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公(Großherzog Sachsen-Weimar-Eisenach,以下「ヴァイマル公」と略記)の宮廷が置かれた地でした。
18世紀から19世紀にかけては,ヴィーラント(Christoph Martin Wieland, 1733-1813),ヘルダー(Johann Gottfried von Herder, 1744-1803),ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749-1832),シラー(Friedrich von Schiller, 1759-1805)など,当時のドイツ文学,思想を代表する人物が住んでいて,さながらドイツ学芸の首都の趣がありました。さらに20世紀になって現代建築やデザインの源流となった芸術学校バウハウス(Bauhaus)が創設されたのもこの町でした(後にデッサウ市に移転)。また有名な作曲家一家バッハ一族の根拠地は領内のアイゼナハ(Eisenach)市でした。
第一次大戦敗北の後,ドイツの新しい国家体制の基礎となる憲法を制定するための会議が1919年,ヴァイマル国民劇場で開催され,この憲法下に発足した新しいドイツ国家を通称「ヴァイマル共和国」(Weimarer Republik)と呼びます。ただしこの共和国の首都がヴァイマルだというわけではなく,帝国時代と同じくベルリンが首都でした。
ヴァイマルの地勢は,南方バイエルンとの州境に近いテューリンゲンの森(Thüringer Wald)から,北に向かって緩やかに下がってくる傾斜地の末端部,イルム川(Ilm)西岸の台地上に位置しています。市街地のすぐ北側にはエッタースブルク(Ettersburg)の丘陵地が立ち塞がり,イルム川はこれに阻まれて東へと流れを変え,やがてザーレ川(Saale)に,さらにはエルベ川(Elbe)に合流します。ヴァイマル公の城は,このイルム川の崖の上に造営されています。16世紀以来第一次大戦終了時まで,ザクセン選帝侯一族ヴェッティン家(Haus Wettin)のエルネスト系(Ernestiner)家系がこの城を本拠地として統治しました。
ヴァイマルは歴史的に興味深い話題を豊富に持つ町で,世界遺産にも指定されています。これから数度にわたって,いくつかご紹介したいと思います。