コラム

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2022/04/28

Nr.60 ein echtes Bier って,どんなビール?(後編)

武井 香織(元筑波大学教授・公益財団法人ドイツ語学文学振興会理事)


前回のコラム Nr.59 ein echtes Bier って,どんなビール?(前編)で,クラウスターラーというビールはどんなビールか想像してみてください,と言いましたが,みなさんの答えはどうですか?さて,この研修会に参加した先生方から出た答えは以下のようなものでした。(むろん正確に覚えているわけではありませんが。)

Ein wunderbares Bier!

Das Bier schmeckt außerordentlich gut.

Ein gutes Bier.

Ein Bier von hoher Qualität.

ところがそのとき,一人のドイツ人の先生が発言し,この教材に異論を唱えました。

これらの答えは間違っているか,少なくともこのテクストの読み方は出題者自身も含めて不十分だというのです。というのは,Clausthaler というのはノンアルコールビールだからだ,ということでした。

ひょっとすると読者の皆さんの中には,このことをご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが,研修会に参加していたドイツ語の先生で Clausthaler がノンアルコールビールだということを知っている方はいませんでした。

今この事実を踏まえて,あのキャッチコピーをもう一度読んでみてください。

Clausthaler hat alles, was ein echtes Bier braucht.

すると,会場の先生方が提出した解答がなぜ間違っているかがおわかりになるでしょう。特に最後の例は完全に外しています。

つまり,このコピーは「ノンアルコールであるにもかかわらず,本物のビールと同じように味わえる」と言っているのです。

このことを踏まえると,形容詞 echt がなぜ使われているかがわかります。ein echtes Bier とは(儲けのためにいい加減な作り方をしているビールに対して)「ごまかしのない」「ちゃんとした造り方をしている」ではなく,単に「本物の」の意味なのです。

とはいっても,このコピー,前者のような意図で作ったとしても成り立つかもしれません。もし Clausthaler がノンアルコールビールだということを知らないで解釈すれば,「すばらしいビールだ」ということをアピールしていると思うでしょう。しかしこう解釈してしまうと,このキャッチコピーを作った人の巧みさを理解していないことになります。言い換えると,テクストのすべての要素がピタっと嵌まって機能していることを見逃してしまうことになります。

このことはテクスト,特に文学的修辞を使っている場合は,実はファクトを知らないととんだ誤読をしているかもしれない,ということへの警告と言えるでしょう。

読者のみなさんも,独和辞典に記載されている日本語の意味を鵜呑みにするのではなく,実際のコミュニケーションのコンテクストの中で「ピンと来る」「ああ,なるほどね」という経験をとおして言葉を理解してほしいと思います。